2006年10月23日

10月23日

その日は、姪っ子1人が遊びに来ていて、母の(義妹の)仕事帰りの迎えを待ちながら、
お腹空いたウチの子どもたちと早い夕食を食べはじめていた。
じいちゃんは町内の親戚の父ちゃんと、お疲れ様酒を別室ではじめていた。
私は台所で秋野菜の炒め物をしている最中だった。
17時56分、突然ドドドド…ゴゴゴゴ…という音とともに床が揺れ、家が揺れ、自分も身動きが取れないほどに揺れていた。
数秒何が起きたかわからなかった。
大きな大きな感嘆符と疑問符が頭をよこぎり、ばあちゃんの「地震だ!」の声に、
子どもたちをダイニングテーブルの下に、隠れさせるのに必死で、すべてが揺れていた。
今までの経験した中の地震とは比べものにならない、大きさと長い時間の揺れだった。
おさまってきてからコンロの火を止めてたら、じいちゃんが台所に来て、
みんなの安否確認をしながら、
「ここで、この揺れなら、震源地はもの凄いぞ。」と言い切っていた言葉に、みんなうなづき、
凄まじい揺れに一先ず深呼吸をして、冷静さを保とうとしていた。
その時、携帯が鳴り、県外にいる実姉から今そっちで大きな地震の速報を聞いたという電話がくる。
その話の最中の18時12分、2回目の大きな揺れがくる。
この揺れももの凄い。
姉には大丈夫だよと言いながら、子どもたちをテーブルの下に入れるだけで必死。
揺れがおさまり、家の中の様子を確認する為に2階も見ていた18時34分。
3回目の大きな揺れがまたくる。
子どもたちは1階にいたので、その揺れの中階段を走って降り、子どもたちがいた台所へ。
何故3度も同じようなもの凄い揺れがくるのかわからなかった。
我が家は、たまに電気が一瞬消える停電になったくらいで、ライフラインは無事だった。
それで、TVをみると時間の経過とともに、凄まじい地震の姿が見えてきた。

1回目の本震はM6.8だったため、震度7や、6強の地域もあった。
我が家の地域の震度は1回目震度5強、2回目震度5弱、3回目震度5強だった。
我が家の被害は、お風呂場のコンクリートとタイルの壁が地上1メートルくらいのところで、
真横に四面亀裂が入ったのが生活面で大きく目立つ被害だったが、
当日のその日は、家の布団で寝れたのは、ありがたいことだった。
それは、2年前の10月23日のこと。

この地震の余震は何ヶ月も続き、震度4や、5の揺れが何度もきた。
寝ているときも時間問わずに。
しばらく私自身パジャマで寝られなかったのを覚えている。
この地震はのちに「新潟県中越地震」と名前がついた大震災だった。

タイヤと尻尾.jpg

この年の春、県内各地で竹の花が咲いていた。
胸騒ぎの中、夏の水害。秋の地震。
この年、我が家は2回目の被災地になった。
毎日、自衛隊ヘリが、小千谷(おじや)方面に飛んでいった。
道路はあちこち痛み、通行止めが沢山あった。
倒壊寸前の建物はいくつも壊された。
多くの家の屋根にブルーシートがかけられ、修理待ちが続いた。
水害時も、地震時も、まわりの方々に応援を受け、頑張ってこれました。
今も、仮説住宅暮らしを余儀なくされている方もいます。
道路が復旧されていないとこもまだあります。
水田もやられ、今年も田植えが出来なかった地域もあります。
だけど、みんな元気に頑張っています。
で、肝心のももは、当日の大きな3回の揺れの間、
ずーと、ダイニングテーブルの中にしまわれてた椅子の上に、うずくまっていました。
どうやら子どもたちと一緒に非難していたらしい。エライエライ。
その後、日にちが経過するたびに、大きく揺れてもちょっとかたまるが、すぐ動くようになる。
ももも大地震に慣れていきました。そして、2回の災害経験猫になりました。

ニックネーム みみ at 08:35| Comment(7) | TrackBack(0) | 成長の記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
みみさんのお宅は新潟だったのですね。
ちょうど今朝のニュースで復旧の遅れに驚いていました・・・。
こう言う時は本当にご近所の力が心強く有り難いですね。ここ伊豆も地震が多いですが、日頃の町内活動が安心感を与えてくれています。
ももちゃんも2回も災害を経験し、皆さんと一緒に乗り越えていたのですね。
うちの子達はまだ大きな揺れは経験していませんが頻繁に起こる小さな揺れには慣れてしまったようです(^^ゞ

Posted by mimi at 2006年10月23日 13:28
どっきり(;´Д`)

しばらく更新がなかった後のこの記事だったもんで
今まさに被害に合われたのかと…

新潟だったんですね。
今日あちこちでニュースで流れてますね。
ワタシも阪神淡路大震災を経験しましたが その経験活かされてるかしら?
とたまに自分に問い掛けたりしてます。

お子様がいらっしゃるとまず子供の安全確保になりますよね。
私の場合 次に災害があった時 猫を4匹連れて逃げる準備は出来てるか。
これが今の大きな課題です。

実はまだキャリーが2つしかなかったりするんですよ(;´Д`)

Posted by ねこねぇ at 2006年10月23日 18:14
びっくりしました〜。しばらく更新されていなかったので、どうしたのかなって思ったりしていたのですが・・・2年前のこととはいえ、大変な思いをされていたのですね、2年の月日では癒しきれるものではなく、少しのことでも恐いですね。被災地の方々はいまだに仮設に住まわれていたりご苦労の絶えることはないようですね。なんでも、奇跡のワンちゃんのお話が映画化されて、元気付けてもらうという企画があるらしいですね。元気もつけていただきたいですが、そういった収益金など、もっと被災地に寄付してもらいたいです。ももちゃんも2回も災害を経験したとはいえ、元気でなによりです。
Posted by cyacya at 2006年10月24日 14:58
みみさん、初めまして。あちこちフラついてこちらを見つけました(笑)。
ウチのもサビ猫で、顔の模様がももちゃんに似ているので
なんか親近感がわいてしまいました。(勝手にすみません・・・)
中越地震から、早いもので2年ですね。私は東京なのですが、あの夜の揺れは「ヤバイ」と思ったほど凄かったです。
被災者でない場合、月日を追うごとに何かと忘れがちですけれど、
被災者でないからこそ忘れてはならないですよね。
可愛いももちゃんを拝見しに、また寄らせて戴きます。
Posted by union-jack at 2006年10月24日 15:07
こんにちは〜。
みみさん、あの辺にお住まいだったのですね。
土曜日だったでしょうか。(違ったらごめんなさい)あの時間テレビを見ていたのでそうだったと思います。あれから2年なのですね。
未だに仮設住宅にお住まいの方々がたくさんいると聞いて驚きました。
ももちゃんもちゃんと机の下に隠れていたのですね。エライなあ。(笑)

こういう場合、にゃんずとともに非難できるのか、外で地震に遭った場合家に帰れるのか不安です。猫用のごはんだけはストックはたくさんしています。



Posted by びっち at 2006年10月24日 17:50
年月が経っても、きっと鮮明な記憶としてみみさん達の中には残っているのだろうとな思います。
被災された方のご苦労は、実際に災害に合わずに暮らしている私などには、計り知れないものがあることでしょうね。
「頑張ってください。」としか言えませんが、これからも明るいみみさん&ももちゃんでいてください。

大変な境遇から生き抜いたももちゃんの、ほのぼのしたブログ、これからも楽しみにしています。
Posted by nyanmyupurin at 2006年10月24日 17:59
私も昨日、TVのニュースで震災地の復旧が遅れてる事を知りました。
2年前の映像を見て、忘れてはいけない事と改めて思いました。
自分にもいつ何が起こるかわからないですものね、
うちの猫たちの事を考えなければ…と思いつつ何も備えていません。
もっと、ちゃんと考えておかないといけないですね。
ももちゃんは2回も地震を経験したのに落ち着いていたんですね。偉いわ〜。
Posted by クロ子 at 2006年10月24日 18:05
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